朝から映画

「夕凪の街 桜の国」という映画を見て割と引き込まれたし、ぶっちゃけちょっと泣いた。麻生さんは時効警察のキャラなども好きだけど、この映画の中の、おしとやかめの役もいいな、と思った。以下、ネタばれあり。



誰かに「死ねばいい」と思われたのに、生きていていいのだろうか・・・というセリフがあったけど、一瞬それは卑下しすぎと思ったあと、いや原爆ってそう言わせるほどのものだったんだ、と思い直した。それほどの、むしろ言葉を失わせるほどの暴力、を想像した。実際に原爆を体験したことがないのだから、やはり素直にそうイメージするほうが正しいだろうという気がした。というか、実際に原爆を体験したら生きてはいられないのだし、もし生きられたとしても、あの地獄絵、家族の焼けただれた腕、間を置いてやってくる若い命の死、などを思うと、原爆のその後の生活がいかに平穏に見えても何か意識の下で、あるとき前述の言葉を言わせるような何かからは逃れられないのだろう。


僕は本当に、皆実という人が、そのような厳しい過去を振り払って、どのように幸せを掴んでいくのか、ということを意識しながらこの映画を見ていた。「私は幸せになってはいけない」というセリフは、乗り越えられるために吐かれたものだと思って見続けていた。原爆には後遺症がある、ということを忘れていた。救いがないと思った。


後半の物語の中で、かすかに皆実の存在が報われるというか、原爆を乗り越えようとする意図が感じられるけど、それでもやはりこういう映画が作られ、保存され、消費されるというサイクルの起点である原爆投下という事実は認めざるを得ないのだし。若い女性が、「わたしがしんで、うれしいですか?」と言いながら死んで行くほどのものだったんだなそれは、と想像するしかない。というか、想像するとはどういうことか、という問題もあるっぽいのだけれど。